2017年7月17日月曜日

2017年の新車の顔つきは、悪い。

車のフロントマスクは人形の顔と同じだ。そこに表情が宿り、魂が宿る。

2017年の新車の顔つきは、悪い。
もちろん全部とは言わぬが人相が悪いのだ。

車種名など出すのも忍びないのだがトヨタのワンボックス、ミニバンはひどい。
本来ファミリー向けの車種であるはずのあの手の車。ラインアップを見ると非常に人相が悪い。しかも顔だけ悪くて、しかし変えようもないボディは顔が悪顔だけに余計ずどーんと間延びして見える。その仕上げにテールライトを目尻だけあげていっちょあがり、と仕上げている。車がかわいそうに見える。モデルチェンジが進めば進むほど人相悪く、その上大味になってくる。

この流れ、思うに車を2台買う、家庭用とお父さんのかっこいいやつ、などの文化が経済悪化とともに廃れ、お父さんの立場も弱くなり、そういう中でお父さんが決定権を持っていたはずのクルマ選びはいつしかお母さんにその実権が移った。買い物に便利、子供のため、旅行、帰省にもいい。いろいろある中でミニバンというジャンルはいつしか白物家電的進化を遂げる。ところがそれと相反するように顔つきは悪くなり、デザインやら元々あったコンセプトやらがどうもちぐはぐな謎めいたものになってきている。そういう流れがある気がしている。

そういう厳しい状況の中でお父さんが唯一の方法としてせめて顔だけかっこいいのを選ぼう、となる。ところがミニバンと言われる車のニーズはいわゆるヤンキー文化とも深く結びつき、カッコいい=悪っぽいという残念なチョイスになっており、その中でお父さんが選択をせざるを得なくなっている。

そんな車を選んだお父さん。子供達とドライブに出るが、どうも今までの車とは様子が違う。追い越し車線を走れば前の車がどく。止めてあるとなんだか強そうに見える。黒を選んでよかったなあ、とお父さんは思う。
そういう中でお父さんの中に変化が起きる。追い越し車線からのかなくなる。割り込む、乱暴な運転になってくる。だってこの車に乗ってる俺って悪っぽくて強そうだから大丈夫だろう。それで、たまにメルセデスの本当に悪い人が乗ってるやつに脅されたりなんでもない、ミニバンとはまた別の謎進化を遂げたSUV系の人に幅寄せされたりして震えたりしょんぼりしたり、なんだこのやろーとなったりする。もうそこには優しかった温厚なお父さんの姿はない。
今度は負けない。ボーナスでエアロをつけよう。お母さんに気がつかれないように1インチだけローダウンしよう。そうだ、おこずかいでできるぞ、悪そうなステッカーを貼ろう。流行りのライトの上を斜めに潰す黒いシールも買おう。

そこにはお父さんとは違う知らない人が立っている。



2017年3月28日火曜日

【公開書簡(仮)】そういえば弓月ひろみ嬢からの質問に答えていなかった。/イイヅカ

弓月ひろみ嬢とこの公開書簡をやりとりし始めたのだが、だらしない私はさっさと更新を止めてしまっていた。

せっつかれて書き始めたが、せっつかれるタイミングがよかった。ちょうど仕事のトラブルで色々なものが中断、その中断したものが再開、片付いたところに催促がきた。さっさと書いた1本。が、彼女からの質問に答えるのを忘れていた。

「そんなわけだから、はぴさんにきいとくね。はぴさんは何で、カレーが好きなの?どうしてカレーを好きになっちゃったの?いつも、どんな気持ちで、連載記事を書いてるの?」

ときた。

これはもう何度も聞かれた話で、何度もどこかに書いたりインタビューを受け、話したりしているのだが、決定版がない気もしていた。この公開書簡を決定版として何かあったらここから切り貼りするということで少し詳しく書いてみようか。
何しろ30年以上前のことなので多少わたしの都合に合わせて楽しい感じになっているやも知れぬが、それを念頭に読んでほしい。


わたしは1964年生まれ。戦争から20年ほど経った東京で生まれた。爺さんの代から続く水道屋の息子でちょうどわたしから江戸っ子を名乗ることができるというわけだ。稼業は皆さんもご存知の通り、継いでいない。
小中高と公立の学校でのほほんと過ごし、大学受験をすべって当時はやりの専門学校へ進んだ。コンピューターグラフィクスを学ぶつもりがその学科が定員割れで潰れ、仕方なくCOBOL(これはもう1960年代の言語だ)とFORTRAN(これも同様)を学び、商業コンピュータ、主にオフコンと呼ばれるもの(そんなものはもう現存しない。謎の円盤UFOのオープニングのようなテープがぐるぐる回るそれはそれはかっこよく無様に大きい機械だった)のシステム構築をする仕事をモーターでおなじみの某日の丸系会社の子会社でやっていた。

小中の当時、カレーライスは子供達のアイドル的メニューだった。ハンバーグは憧れ、カレーはもう少し身近なアイドル。学校でも家庭でも変わらずその地位は子供のスター的メニューだ。カレーが出される日は気が狂ったようにおかわりをして顔が土気色になるまでカレーライスを堪能したものだ。
そんな人並みにカレーが好きだったわたしが無我から自意識としてカレーを欲するようになったのは確か1980年代始めだった。

高校を卒業して、高校の在学中にどうにも好きで片思いをしていた女の子がいた。なかなかおしゃべりをするチャンスもないままでいたが一念発起、彼女をデートに誘ってみようと思い立った。当時の高校生、お金も大して持っていない。レストランに誘うならと色々算段するのだが、どうにも予算が立ち行かない。
現代はいい時代だ。フレンチにもイタリアンにもカジュアルラインがある。ビストロやカジュアルレストランに女の子を誘うなんて現代の都市部の高校生は普通にやっているだろう。しかし当時、そういうカジュアルな店は皆無。そういうレストランのチョイスをすれば数万円の食事代にプラスしてジャケットとタイ、革靴を揃えねばならなかった。これはもうアルバイトもろくすっぽやっていない高校生にはおいそれと手を出せる場所ではないのだ。高校当時、ぴあやアングル、シティロードといった情報誌を片手に映画や舞台などを見にいっていたわたしははたと気がついた。その情報誌にたまに載っているインドカレー。インド料理のレストランは確か多少は安いはずだ。その線で行ってみるか。インドレストランならネクタイをしないでも大丈夫だろう。だってカレー屋さんなんだから。その上金を持ってる友達がイタリアンなぞに女の子を連れていく中、こちとらちょいと珍しくてみんなが行ったこともないインド料理だ。差がつけられるぞ。甚だ浅はかな高校生のわたしはそう考えた。

雑誌アングルを精査し(わたしはアングル派だった。ぴあは映画情報がメインだったしシティロードは何か肌に合わなかったのだ)これという店に目星をつけた。何しろ初めてのインドレストランだ。オートバイで下見にまで行ってきた。(お金がないので店を見に行っただけであった)そして当日。営団地下鉄の東西線で彼女と並んで座り九段下の駅へ向かった。緊張でガチガチのわたしだったが彼女は涼しげな顔をしていた。彼女の思い出はここまでだ。ここ以降、店での彼女との思い出は一切ない。今となっては何を頼んだかも忘れてしまったが、とにかくすごい衝撃を受けたのだ。

店構えもちょっと独特の雰囲気があるレストランだった。子供のわたしからすれば十分高級店であり、目的は達成されたが気後れも感じていた。大人の場所だ。そう思ったのだ。ホールは想像したよりも薄暗く、女性のウェイトレスが忙しく歩き回って活気があった。強いインドカレーの香りがホールいっぱいに広がっていてそのことに圧倒された。うまそうな匂いだった。不思議と初めてのインドのカレーの香りに違和感もなく魅了されたのだ。気もそぞろなままに注文。写真もなく英語の表記もある大人っぽいメニューにまた気圧されて、それでもやっとの事で注文をした。そしてやってきたカレーとライス。これが衝撃的だった。

もう一度書くが、もう今となっては何を頼んだかも覚えていない。当時の浅はかな高校生の頭ではチキンカレーのスタンダードなやつくらいしかチョイスできなかったと思われる。そしてカレーを食べて驚いた。どう驚いたかももはや定かではない。ただ、知らない世界が開けたのだけは確かだった。聞いたことも口にしたこともないカレーライス。カレーライスでさえないのではないかと訝りながらもその魅力的な食べ物のことで頭はいっぱいになり、彼女のことは頭から消えた。わたしは付き合う前に彼女を振ってインドカレーに恋をした。

その後そのレストランが「アジャンタ」という名前であることも知らずに何度か通った。ある日、カレーに恋をしているはずなのに懲りずに色気を出して後輩の女の子をオートバイに乗せてその店にやってきた。店はなくなっていた。文字どうりなくなっいたのだ。あの上品な白い壁は崩され、柱の残骸などが山になっていた。その向こう側に靖国の大鳥居が見えていたのを覚えている。大いに絶望したものだ。

そんな体験と並行してインドカレーに興味を持ったわたしは他の店にもいかねばいけない、という使命感を帯び食べあるきを始めた。1985~6年ぐらいのことだろうか。東京のインドカレーのもう一つの大ボス、ナイルレストラン。そこにも小遣いを貯めては通っていた。寒い冬の日、東銀座駅から小走りでナイルレストランに向かった。確か紫色だっただろうか、色がついたガラス扉は寒さで曇っていて、その扉を開けて入ると髭のインド人が席に案内してくれた。大きくインデラカレー粉の宣伝が書いてあるテーブルにつくと、真っ先にムルギーランチを進められるのは今と変わらない。それを嬉々として受け入れ、ムルギーランチばかりを食べていた。ある日端の席に座っているとインド人のおじいさんが自分のテーブルの席に座ってきた。なんだか怖いなあ、なんだろう、と思うと食べ方の指摘を受けた。勝手に食わせろよお、やだなあもう、、、と若いわたしは思っていた。そんな出来事があったことをナイル善己氏に聞いてみると、多分自分の祖父だろう、と言っていた。彼の口からそれを聞いて、あの時わたしは歴史を食べたのだな、と感慨深く思った。

他には御徒町、湯島にあるデリー上野店。小さな、カウンターだけの店なのだがいつでも混んでいて活気があった。カレースタンドだと思って入ったが、食べたことのないエキゾチックな味と香りのカレーを出されて驚いた。お客たちはメニューも見ずに次々と注文をしてゆきどんどん食べてはさっと席を立ってゆく。そういうのがかっこいいな、と思ったものだ。はじめは周りの客がこぞって頼むカシミールカレーというのを頼んだが、辛すぎてむせ返るような思いをした。大人になってからはその良さがわかるようになり、時たま頼むようになったが子供の時分には刺激が強すぎた。次にコルマカレーというカレーを食べたのだがこれが大当たり。自分の舌の好みによくあった。以来コルマカレーを求めて通うようになった。

他にも上野アメ横のガード下にある狭い階段を登ってゆく「アーグラ」、新宿のスリランカレストラン「コートロッジ」で知ったココナッツミルクが入ったカレー、新宿アルタ裏の沖縄そばの店の2階にあった「印度屋」なんてとこはインドカレーの食べ放題の走りみたいなお店で嬉しかったな。新宿はもちろん「中村屋」、それと「モンスナック」。渋谷だったら「ラージパレス」。他にも本当にたくさんのお店を回ったものだ。

システムエンジアを初めて4年ほど。どうにもやっていることとやりたかったことのギャップが埋まらずに悶々としていた。決心をして辞表を書いて。雑貨業界に転身をした。その仕事は出張も多く、全国のカレーを食べて歩いた。東京にいるときは相変わらずの有名店めぐりに加えてその幅も広がっていった。タイ料理も好きになり、下高井戸にあったピキヌーにオートバイで日参しては辛い辛いと言いながらカントリーカレーを食べ、店主が漬けたフレッシュなプリックナンプラーを買って帰った。

そうやって家カレー、給食カレーから初めてのインド料理としてのカレーを経てアジア各国料理の中の煮込み料理としてのカレーが好きになり、2回転ほどして日本の古いカレーライスの良さに目覚め、日本人コックが作るインド風カレーが一番うまいのではないか、など考えたりとグルグルとしているうちに知識と体重も増え、現在のわたしとなったのである。

「どんな気持ちで、連載記事を書いてるの?」

は、また今度。

2017年3月26日日曜日

【公開書簡(仮)】弓月ひろみ嬢を見ているのは楽しい、嬉しい。/イイヅカ

弓月ひろみ嬢がインタビューって話題で書いていた。
吉田豪氏にインタビューをされるような自分になりたい、ということだ。吉田豪氏が書くインタビューはいくつか読んだことがあるが、あまり詳しくない。

弓月ひろみ嬢は現在でも十分、そのパーソナリティを発揮しており興味深い存在だ。
友人であり、理解はしているつもりだが、ある一線をどこかに強く敷いており、そこからは何人たりとも通さない、という場所も持っている。まあ人として当たり前であるかも知れぬ。

しなやかな女性ではあるが、実は頑固なんじゃないだろうかと疑っているところもある。わざとそう書いたが、頑固=自分を持っている人間であり、そうでないと付き合ってつまらないだろう。付き合って面白い人物なのだ。彼女は。


そんな彼女を友人としてはや、、、何年経っただろうか。変化の兆しのようなものが今見えている。

転機、なのだろうか。
お年頃の彼女でもあるし、いい出会いもたくさんあった数年だったようで、それをそばで見ているのは楽しいし、頼もしいとも感じる。

彼女だけではなく、きっとそういう時期なのだろう。周りの友人たちがここまで蓄えてきた力を解放して仕事の一線に立つ姿を最近よく見る。そういう姿を見ながら心地いいものだなあ、と感慨に浸る。彼ら彼女らはその立ち上がる前の段階で色々な蓄積を積んできた。それを見て知っているから、その力を解放する姿を見るととても楽しい気分だ。

そんなこと言ってないで自分ももう少し努力をせねば。

仕事、自分でもう少し作っていかないとな。
そういえば最近ゆづちゃんは和菓子とか食方面はどうしてる?

http://blog.livedoor.jp/yuzukihiromi/archives/69521293.html

2017年2月25日土曜日

【公開書簡(仮)】弓月ひろみ嬢と会うと長くなる。/イイヅカ

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるんだよな。毎度そうなんだよ。

それはそれなりに忙しい二人で、それはまあ大人やってて時間をひねり出すってのはけっこう大変なことだと思う。フリーランスは時間イコールオカネ、的なところがあってシビアになることも多いんだけどさ。シビアになるくらいお仕事多いといいよね、お互い。

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるんだよ。

なんでかっていうと二人ともけっこうしゃべる。それで、久しぶりという状況がほとんどだから言いたいことも溜まってる。ちょいと戦友っぽいところもあって、お互いの戦果、戦況なんかを報告し合うのと次の作戦の立案だったり共同戦線を早々に張らねば、とかあの敵を撃破するにはどんな兵站を考えるかとか短期で勝敗を決せねばとか大勢を見据えて、とかそういう話し。戦友だな、やっぱり。轡を並べる(©︎アナベルガトー)なんてのはそうそうないのだけど、任官場所が違っていても戦友は戦友だ。

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるのは濃いめの話が多いから。

いつでも濃いめの話になって面白い。わたしはここ2年ほどITとかガジェットとかの業界から少し距離を置いてしまっているのでそちらの方面の話はなかなか面白い。とはいえ噂話に終始するなぞ愚の骨頂。それはそれでちょいと触れるけど、やはりたどり着くのはわたしたちがどこになにを思って向かうべきか、などいうことが多い。


そんな長話しの二人は飯田橋にある香港 贊記茶餐廳(ホンコンチャンキチャチャンテン)に向かった。いや、わたしはもう着席していた。電車を乗り間違えた、あろうことか東西線と南北線を間違えるというワザとじゃないのか、というような楽しい乗り間違えののち30分遅れでやってきた弓月嬢を温かく迎えた。
香港 贊記茶餐廳はネイザンロードあたりからそのまま土地ごと引っこ抜いてきたんじゃなかろうか、という感じの香港丸出しのカフェだ。わたしは香港には行ったことがない。が、アスキー総研随一の本物の香港マニア、遠藤所長が太鼓判を押すのだから間違いなかろう。遠藤所長にはいつもカレーでお世話になっている。いつぞやは九龍城砦なきあと、香港のダークサイドを司ると言われた重慶大厦のインドカレー屋の階段脇に束で置いてあるカレーVIPカードとかカレープラチナカードとかが欲しいなあ、とポロリと漏らしたら早々にそれを手渡されたことがあった。魔法か!?と思ったよ。遠藤所長は本物だ。

そんな生粋の香港マニアも驚く現地感の香港 贊記茶餐廳は営業スタイルも香港流。店員さんが普通に真ん中のテーブルで賄いを食べている。そういうの、とても健康的だと思う。日本人は色々気にしすぎだ。そんなだからどんどんアジアの国に色々と負け始めている。

弓月嬢を待っている間に「カレー風味の炒めビーフン」をやっつけて、レモンコーラのアイス(ホットもある!!)を飲んでいた。さて、弓月ひろみ嬢到着。楽しいおしゃべり旅の始まりだ。もちろんおしゃべりの内容は二人のものだから、書かないよ。

弓月ひろみ嬢と会うとやっぱり長くなったよなあ。



2017年2月23日木曜日

バード電子のひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップが良かった。

先日バード電子の斉藤社長からこれが届いた。これは最高だった。

商品名はひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップ(2個セット)だ。
CS-MB-2という型番がついている。


ご存知いしたにまさきさんのところのヒットプロダクト、ひらくPCバッグに装着できるストラップ。こんなにいいとは思わなかった。

ひらくPCバッグは本当によく出来たプロダクトで、ちょっと後から色々するようなカバンじゃない。完成度が異常に高いのだ。だからいじりづらい。せっかくの完成品を色々するのはもったいない。



しかし、そこはさすがの斉藤さん目線。
パンチングのポケット部に目をつけた。カバンに傷ひとつつけないでストラップを装着できる。

これで長尺もの(三脚等)や濡れたもの(折り畳み傘)などがつけられる。すごくいい。
心なしか、クールなひらくPCバッグに愛嬌が生まれる感もあっていい感じだ。あまり重たいものの装着は推奨されていないが(600gほどを上限としているそうだ)自分で試していこうと思う。



で、それとは別にステキなおまけもいただいたのだ。OYAzgn。手渡しでしか手に入らないらしい貴重なおじさんのためのおじさん雑誌。これがまた素晴らしい。さらりと読んじゃうのはもったいない内容で、パラパラ見始めてパタリと閉じた。ゆっくり見よう。大事に読もう。
バードコースターもシールも入ってた!!。うーん、嬉しさ込み上げる。詰め合わせっていいよね。


あ、そうだ。久しぶりにラヂオケースだしてストラップ使ってひらくPCバッグにくっつけてみよう。そうしよう。




バード電子 ひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップ(2個セット)CS-MB-2

2016年12月31日土曜日

スーパーアマチュアの時代。

ちょっと面白い動画を見た。
BSアニメ夜話、カウボーイビバップの回だった。ずいぶん前の動画だ。

カウボーイビバップはとても好きなアニメーション作品だ。スタイリッシュで音楽もよくてリズムがあってかっこいい。大人が見ても十分な見応えがあると思う。凝った作品だなあ、と思っていた。

いろいろな話や意見が出た中で、ひどく耳に残った数十秒があった。
BSアニメ夜話ではこんな話が出ていた。

『カウボーイビバップは全てが過剰なのだ。いい意味でスーパーアマチュアの作品だ。本筋、骨太のストーリーがなく、番外編ばかりを集めたような作品だ。おもしろいが物語の流れがない。各話がストーリーでつながっていない。』

『本来プロは事故が起こりそうなことはしない。たとえばこの作品ではアイキャッチを全話で変えるなどやっているがこれは危ない。チェック項目が多くなり煩雑になり、間違いが起こりやすい。プロは本編に力を注ぎ、楽ができるところは意図を持って力を抜く。それがプロだ。』

そんな話の後に、それをたとえ話にした会話が出た。

『プロは毎日決まった時間に店を開けてきちんと同じものを出す。今日来た食材を使って適当に(決まり事なく)作ってスープがなくなったら今日は店終わり!というやり方はプロのスタイルではない。全てがまかない的だ。店というのは決まった時間に毎日開いて同じ味のものが出てくるのが本物の店なのだ』

これは文脈からラーメン店のたとえ話だとわかった。

『これは映画監督の初期作品的なものだ。今まで見てきた、敬愛した、尊敬した偉大な監督たちの作品に影響を受けた全てのもの、ことを自分の初めての作品に全部つっこむ。高熱にうなされたようなすごいものが出来上がる。が、それはつづくものではない。』

さて、カレーの話。

いや、私がこれ以上語ることもないかもしれない。賢明な皆さんは今の文章で十分だろう。そして若い店主たちはその場所で足踏みしてはいないだろう。前へと進み、気づきがあるはずだ。が、気がつかずに足踏みを続ける店主たちはやがてその店を手放さねばならなくなるのだろう。

今年はスーパーアマチュアの年だった。そんな気がする。




2016年12月15日木曜日

叔父の家。

なぜそんなことをこのタイミングで思ったのかは、よくわからない。

台風の午後、車で通りかかった千葉の少し外れの古いベッドタウン。そこがわたしの叔父が住む家のそばだと急に気がついた。
実は妻の実家がここから車で10分ほどの場所にある。妻の実家の義父と義母にはたいへんによくしてもらい、暖かく扱ってもらっている。ここら辺はいつ来ても心地よい場所だと感じていた。

叔父の家がそのそばにあることをわかっているはずだったが終ぞ思い出したことがなかった。なぜなのかはきっと深層心理なんぞをそちらの専門家に見て貰えばすぐにわかるのだろう。わかりたくもないが。

子供の頃に従兄弟と遊ぶためわりとよく遊びに来たこの場所。小学生の頃の従兄弟とわたしはとても仲が良かった。今ではよく来た、というワードだけが頭に残り、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
近隣まったく覚えておらず、そばに公園があったことも意外だったし、ナビゲーションを見てみるとよく加曽利貝塚まで遊びに行っていたなあ、子供にとってはずいぶん遠いんじゃないか、という距離のことも思ったりもした。
そしてこの記憶がすべて。そんなこと以外、なにも思うところがないことにも気が付いた。

叔父は叔母に先立たれ、一人でここに住んでいるはずだ。
叔父は長男なのだが家業を継がなかった。私の父が次男として家業を継いだ。それはいい。年老いた彼の両親、私の祖父と祖母の面倒を見なかったのはなぜなのだろうと今でも考えることがある。
忌み嫌われていた、とは言いたくないがそんな叔父はやはり兄弟の中でだんだんと説得力と存在感がなくなっていった。子供のわたしも敏感にそれを感じていた。
果たしてわたしのiPhoneには年賀状だけに使う、いや、それさえ途絶えて使うあてのない住所録の叔父の名前の後ろにポツリと住所が載っていた。そのまま地図に切り替えて車での道案内をさせると気がついた場所からわずか4分でたどり着くらしい。なんとも言えない感慨を感じた。

辿り着いた叔父の家はぱっと見小綺麗な白い四角い家で、いかにも公務員が好みそうな決まった規格で正確に作られた家、という匂いがした。  よく見ていくと手入れが残念ながら行き届かない庭と二階の窓の中に見える半分落ちて傾いたシェードと雑多な置物が見える。妻を失った老人、そんな言葉が頭に浮かんだ。
昔きた時の記憶は繰り返すが、ない。まったくないのだ。それもあってかまったくリアリティがないのだ、この中に年老いた彼が住み、近所の寂れた店で惣菜を買い、逆に新しすぎて白々しいスーパーで弁当や靴下を買い、というイメージが浮かばない。
オチも何もない。ただモヤモヤとした思いが胸の中に残った。叔父に会うつもりはもちろんなかった。そそくさとその場を立ち去りクルマに戻った。ほっとした。

2016年12月11日日曜日

ライターという看板を下ろそうかと思っている話。

なぜ山中湖をフロントガラスの正面に据えてクルマのシートに座りiPad miniで文章を打っているのだろう。なぜ1年半で新車のオドメーターが4万を指すのだろう。なぜ1日でカレー店に3店も行って、しかもそのうちの1店ではカレーを食べずにおしゃべりだけして出て来たのだろう。それもこれもたぶん必要だからだろう。そしてそれがなぜか生業(なりわい)になっていく。いや、微々たるものだ。世界はそれほど優しくない。しかし、その微々たるものを得ると、そういうものなのか、と思った優しい人々がまた同じような仕事の依頼を投げかけてくれて、微増する。不思議なものだ。

カレーの記事連載が月刊誌でもう5年ほど続いている。
今日は材木座の香菜軒 寓の店主に嬉しい言葉をいただいた。あなただから取材をして欲しいという店が、人がいるのだろう、だから連載が続いているのではないか、という言葉。それを大事に頭の奥の方に刻み込んだ。なるべくそれに沿って、なるべく心をそれに沿わせて。もともと飲食の現場に僅かだが10年ほど身を置いて、見て、聞いて、学んだことを忘れないようにしながら、店主の目線に寄り添って取材をして来たつもりだ。それが相手に伝わっているのかもしれない。だとしたらとてもうれしい。

最近わかったのはわたしはどうもライターではないのだろう、ということだ。
ライターが誌面で店主とニコニコ笑う写真を載せるのは少しおかしい。ライターが何度もテレビやラジオに出るのはおかしい。そうなのだろう。
ライターの仕事は媒体からお題をもらって、それに沿った取材をし、そいつをその媒体の流儀に沿って数多くの読者の咀嚼しやすい形に文章にして投げ返してあげることだ。媒体の性質を見越して取材を企画して作り上げることもあるだろう。それがプロフェッショナルライターだと思う。
わたしの名刺にはカレーライターと書いてある。キャッチーでおもしろい。そう思って使っている。しかし仲が良いと思っていた知人から厳しい言葉をもらった。それで、このかんばんをおろしてみようかと思っている。通用しない人が一人でもいたらそいつはダメなものだ、という教えを昔世話になった社長から教わって、今回は自分で咀嚼をしてもやっぱりそれは変わらなかった。
さて、どうするか。肩書きか。まだ肩書きがいらないほど素晴らしい人間にはなってはいないと思う。さて、どうするか。随筆家を名乗ろうと思ったが思いとどまっているところだ。



2016年11月30日水曜日

知りあいの女性の死。

ひどく心を乱されることがいくつか続いた。
そんな中で特に心を乱されたのが、顔を知っている女性が死んだことだった。
病気だったそうだ。闘病のことをわたしは知らなかった。

二本の足でしっかりと、しかしスーッと立っていて、強さと美しさを併せ持っていて、キリッとしていて。こちらの心を見透かされそうで。
わたしのような男は彼女の前に立つといつでもきまりが悪くて目を合わせられなかった。 尻尾が両の足の間に入ってしまうような居心地の悪さと憧れがいつでも腹のなかに共存していて不思議な気持ちだった。

しばらく前に彼女の息子が結婚をした。その息子というのはわたしの友人だ。つまり彼女は年下のわたしの友人の母である。その結婚式に出かけたわたしはそこで彼女を見かけている。主賓の家族となれば話しかけることもままならぬまま、でも晴れやかな笑顔をうかがうことが出来た。

それっきりとなってしまった。

初めの頃、わたしの友人の母親だから関係としてお母さんと呼んだが、それが面白くなかったのか、美しい柳眉を逆立ててその呼び方はやめなさい。名前を呼んで、と言われた。そういうところも素敵だな、と思っていた。
彼女のご主人はまるで哲学者のような男性で、その瞳をまっすぐ見ながら話を聞いているとどこか別の場所に連れて行かれそうな気分になる。深い瞳と広い心を持つ紳士だ。こういうスケール大きな男性を支えていた彼女。男だからわかるのだ。ご主人の痛みが。さぞお辛いことだろう。こちらの胸まで押しつぶされそうになる。

なぜだろうか。それほど彼女と長く親しく話をしたわけでもないのだが、涙がこぼれた。きっと動揺しているから、の涙なのだろう。が、それを彼女に捧げることは悪いことではない。そう思った。

深夜の九十九里のそばでそんな知らせのメッセージを友人からもらい、しばらくいろいろなことを考えた。夜の車の中でこの知らせを聞けて、色々なふうに心が動いた。その心の動きは大事なものだと思った。

2016年11月28日月曜日

iPhone7と便所紙。

少し前に、Apple StoreのオンラインでiPhone7を買った。
いろいろすごかったよ、今回のiPhone7購入から使用までのスタート準備。

まず荷物の到着が「フィールアース」へ出かける日の昼前。
「フィールアース」はエイ出版社がランドネ、ピークス、フィールドライフ誌の共同主催という形で開催するアウトドアイベント。
つまり、iPhoneを受け取ってそのままキャンプ場へ、という具合。なので荷物にはキャンプにはふさわしくないMacBook Airと外付けハードディスクなどが詰め込まれて。

行きがけに通り道だからと秋葉原に寄って、10分でケース買う、と意気込んで。
その前にジュース買うついでに入った秋葉原のキャンドゥでケース見つかっちゃってそれ購入。おいおい、もうiPhone7のケース、100円ショップで出てるのかよ、と驚きつつ、富士の麓のキャンプ場に到着。

テント張って日が暮れて。メシ食ってそのあと持って来てたMacBook Airにつないでテントの中でアクティベイト。現用だったiPhone5からSOFT BANK SIM入れて運用を開始。何の問題もなく稼働。しかし開封、アクティベイトから復元までをキャンプ場で全部やったのは初めてだ。(だいたいみんなそうだろう)

その後、キャンプからそのまま名古屋旅行へ出て、のち帰宅。
SIMをフリーテルの従量制にして現在様子見。12月から始まるSNS通信無料の固定のプランに移行を予定。

そうそう、先日またキャンドゥで買い物をした。保護ガラス確保。フィルムじゃなくてガラスだよガラス。驚いたなあ。200円で裏表揃ってしまってその上過不足がない。こだわりのないひとならこれでよかろう。(こだわりのない人より)

しかしあれだね。iPhoneはもう便所紙みたいなもんで普段は持ってるのさえ忘れてる。3分空けずに使ってるのに。なくなると非常にショックでその自分を補填してくれていた穴ぼこの大きさに愕然とする。そういう日常のものになったねえ。もう、並んで買うものじゃないし、見せびらかすもんじゃない。