2011年6月12日日曜日

総写真家時代。そういう中で、いい写真ってなんだろうね。

想いを込めてシャッターを押すと、意外と「いい写真」が撮れる、、気がする。
誰にとっての「いい写真」かはわからない。
が、でも、「いい写真」は確実にふえている。


わたしの話ではない。


世の中全体、とまではいかないが、いままで写真なぞ撮らなかった層に、それが広がっている気がする。

ひとつの理由はiPhone。
携帯電話、ではなく、あえてiPhoneという。

携帯電話で写真を撮る層というのもひとつの大きな潮流であると思う。
が、携帯電話だと、少し足りない部分がある。
コミュニケーションの部分「ひとに見せる」という部分だ。

写真というのは人から見せられて評価し、ひとに見せて評価をされる。
それはコミュニケーションだと思う。


それを飛躍的に効率化し、不特定多数との写真を主軸にしたコミュニケーションを実現したのがiPhoneとツイッターの組み合わせだ。アンドロイドもそう。

が、アンドロイドは残念、iPhoneよりも遅れて出て来た。
その分、アプリや環境でまだ追いつかない部分もある(まだインスタグラムが対応していない、等)
いずれ追いついてきて、コミュニティの大きなマスとなるであろう。
(ただ、アンドロイドは各機器でカメラの仕様、画素数等で差があり、なかなかむずかしい部分もある。単一ハードであるiPhoneに利があるのは当然)

携帯電話では、絵を作る、ひとに見せる、という部分が弱かった。
それぞれアプリ対応がないのと画面の小ささ、フォーマット(縦横比)だ。

その小さな差がiPhoneによってうめられたとき、大きな爆発のように写真を撮ることの楽しさを知る人がふえていった。知らぬ間に、多くの人がカメラの基本であるパンフォーカスレンズのそこそこ撮れるカメラを手にしていたのだ、意識をすることなく。

携帯電話の態をなすそれは、つまり、いつでも身に付けており、いつでも取り出せるようなスタンバイ状態にある。
携帯電話の形とも、カメラの形とも少し違うそれは、人に緊張をさせずに写真を撮るという能力を得た。

この2つの事柄だけでも写真力が上がって不思議ではないと考える。
差が出てくるところを考えれば、より多くの写真作品、スナプショットではない写真作品を多く見て、それを自分の血肉にしたものが勝ち抜けていくのではないだろうか。


いまが、新世代の写真家が誕生する前夜なのではないだろうか。

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