2013年10月20日日曜日

驚きの安定とあまりにも簡単な操船。高性能クワッドコプター。 AR.Drone2.0

少し前に友人にさそわれて出かけた。彼が持ってきたいくつかのガジェットがあったのだが、これは出色だった。
今更、と言われるかもしれないが、

「AR.Drone2.0」

すばらしいクワッドコプターだった。値段を超える価値があった。

まず1番はじめにコントローラーを準備するのだが、iPhoneやAndroid端末にアプリをインストールする。機体とWi-Fiで接続それがコントローラーになる。この未来感は大変なものだ。
自分の手持ちの携帯電話がコントローラーになるのだ。
機体を準備して「じゃあアプリをインストールしなよ」と言われ、その場でDLするという流れ。それで、操船が出来てしまう。魔法のようだ。

そしてまた驚かされる。小さな、安い電動の室内用ヘリコプターのラジコンはもはや安いおもちゃの部類に入ってしまっている。おもしろいものが好きな人なら飛ばしたことがある人も多かろう。
空を飛ぶ機械は小さく作れば作るほど、安定をせず、コントロールも難しくなる。この既成概念をいとも簡単に壊してくれるのがこのAR.Drone2.0だ。

コントローラーとなった自分のiPhoneの表示からテイクオフボタンを押す。それだけなのだ。空を飛ぶおもちゃは離陸と着陸が難しい。それをどちらもオートコントロールにしてしまってある。着陸も任意の位置までAR.Drone2.0を導いて、ボタンを一押し。ふわりと危なげなく着陸する。設計思想が見えるような素晴らしいものだ。

そして空中での安定性にも驚かされる。
コントローラーで操作をする。位置がぴたりと決まるのだ。きちんと自分の意志に呼応する動きをしてくれる。これにスチルとムービーの撮れるカメラがついているわけで、もう、なにも出来ないことはないのではないか、と思わせる完成度だ。

その利便性と完成度を、初めて飛ばすわたしのような人間がいとも簡単に自分の意志でコントロールが出来てしまう。本来ヘリコプターは操縦が大変難易度の高いものなのだ。

運用次第でちょっとした高所用のジンバルつきカメラを手に入れてしまったようなものなのだ。ラジコン、というよりカメラとして今後伸びて行くのではないか、と見ている。
次期モデルではきっとカメラがHDになってくれるだろう。本格的な運用が出来るおもちゃを越えた実用モデルになるのだろう。楽しみだ。



2013年10月16日水曜日

仕事でクライアントと食事に行ったら。



仕事でクライアントと食事に行ったら彼のお店の店員さんに対する扱いや態度を注意深く観察してみよう。店員さんたちに対する態度はその後あなたが彼から受ける扱いと同じはず。

なんとなく、ね。そう思った。

2013年10月12日土曜日

もう動画はVineでいいかも、とちょっと思った。

タイトル通りすぎで恐縮なのだが、もう動画はVineでいいかも、とちょっと思ったのだ。
例えばこれ。こんな動画が撮れる。

 

VineはiOSアプリ。動画を6秒間だけ、撮れる。カメラロールからは切り取れないし、数秒ごとに刻んで撮れるが途中から撮り直しは不可能。やり直しになる。2度目はないのだ。
Webベースではなくアプリベースで動く。Web上では視聴する事だけは出来るが、機能は簡素なものだ。まるでおもちゃのムービーカメラだが、これが侮れない。

6秒。実はとても長い。上手にやれば起承転結さえも配せる長さなのだ。事実そういう作品もVineの評価が高いものの中にたくさんある。
ものを見る目、観察眼があれば6秒間で十分満足いく動画に仕上げる事が出来る。時間は遡れない。それをそのまま、未来に向かいながら少しずつ摘まみ取ってあげる。そういう寸法だ。Vineの撮影インターフェイスは単純だ。モニターされている画面を押し続ける。押している時間だけ、撮影が進む。離せば止まる。それだけだ。それを6秒分続ければいい。忘れてはいけないのがその動画が完成するとループになるという事。ずっとその6秒が繰り返される。それを意識しての作品作りもおもしろい。GIFアニメと動画の中間ぐらいに位置する感じだ。

うまくつかってやると、動画は短くすればするほど、事象が純粋化する感覚がある。そのエッセンスと化したなにかを動画で写し取る。
Vine、おもしろいとおもう。


*VineはiOS、Android、クロスプラットフォーム。これまたありがたい。 https://vine.co

2013年10月2日水曜日

筆が走る晩、というのがある。


筆が走る晩、というのがある。なかなかやってこない。それが降りて来るようにいろいろと秘術を尽くすのだが、これがなかなか方程式にはならない厄介なものなのだ。


仕事で文章を書いているわけで、そんなことを言っていないでさっさと事実やインタビューの文字を起こして、切って貼ってつなげて。そうやればいいのだが。そうはいかないのが辛いところ、ダメなところ。如何にもこうにも自分のフィルターを通したくなるのだ。
ドキュメントやルポには向かないのか?一生作文程度の線を越えられぬか。毎度嫌になってしまう。が、しかし、その一線を超えて自分で、あくまで自分の基準で気に入ったものが仕上がると、快哉を叫んでしまう。主観だし、たいしてよく思わない人も多いだろう、そうも思う。それにしてもそいつは外せない基準として自分の腹の中に居座ってのいてくれない。
そういう文章に付き合ってくれる人と細く長く付き合いながら文章を書いていければよかろうか。よかろうが、そうでなかろうが、そうしか出来なくなってきた。困ったが、仕方あるまい。

大変心苦しくはあるが、この駄文におつきあいいただきたく、お願いする次第。