2014年1月22日水曜日

自分を意識して空腹に追い込む。

一人でいるととてもだらしなくなる時がある。今日もそんな感じだった。
部屋で仕事をやっているのだがどうもノリきれず、ダラダラとして。気力がどうも上がってこず、メシも食ってない。
そうやって朝起きて、昼をすぎ、夕方近くになった。猛烈に腹が減った。しかし部屋を出る気力がない。こういう時に限って冷蔵庫は空っぽだ。めまいを感じるような空腹。そろそろ本当に動けなくなる。こりゃマズイ。その前にジャケットを羽織ってガレージにいかねば。
そう思って立ち上がった瞬間に、巻き寿司があるのを思い出した。声が出てしまった。きのう、買っておいて夜遅くに晩酌のお供にしようとして忘れていた。スーパーマーケットのタイムセールで買ったネギトロ巻が8巻ほど。ひどく寒かったのとメシが硬くなるのがイヤで冷蔵庫にしまわず暖のない台所においていて忘れた。とはいえあまり色が良くない。しかし、何の躊躇もなかった。かぶりついた。うまい。本当に染みるようにうまい。タイムセールで250円のなんでもない巻き寿司だ。が、米粒のひとつひとつの味が舌を通って脳髄にこれでもか、とうまい信号を送ってくる。

そんな食事を済ませてはたと気がついた。
空腹を忘れていたんじゃないのか。

都心に住んでおり、コンビニ、スーパー、チェーンのメシや、何の不足もない日々だ。時間も何も関係なく食べたいものが手に入る。面倒なら宅配もある。コンビニでスナックかなんかを買い置きしておいてもいい。そうやって空腹を忘れていた。空腹の時の危機感や精神状態、体の変調。そういうものに気がついたり警戒警報を発したりする感覚は、本来当たり前に持っていなければいけないものだ。人間も動物、いきものだからだ。しかし日本に関しては、そういうものを感じにくい場所になっているようだ。

空腹で感覚が尖ってきたりするのが面白かった。精神状態や行動も興味深かった。自分自身が面白い観察対象になり得ると思った。そしてそういう状態のあとに食べるものの至福といったらなかったのだ。

今年はあえての空腹、という状態を色々なタイミングで作ってみて、感じ方や変化などをいろいろ探ってみたいと思った。

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