2014年6月27日金曜日

ポートレイト写真を撮る楽しみを知った。弓月ひろみさんを撮った。

ポートレイト写真を撮る楽しみを知った。
弓月ひろみさんに教えてもらった。とても素晴らしいモデルさんだ。
純粋なポートレートとは少し違うのかな。教えてもらえたこと、多かったな。

ある日彼女から連絡をもらって「写真を撮って欲しい」といわれた。
なんだろう、と思った。聞けばホームページのリニュアルをするそうで、それに使う写真をいろいろな人に撮ってもらう、というコンセプトを立てたそう。なるほど、美女のお願い、もちろんお手伝いいたしましょう。


浅草を撮影場所に選んだ。選んだのだが、なかなか難しかった。ポートレートを撮るわけだが、外でのポートレート、自分のメンタリティではむずかしい、と感じた。なんと説明していいのかな。広い、いや、開かれた空間だと集中しにくいというか、なんというか。


はじめは雷門あたりで待ち合わせをして銀座線の改札の隅にある小さな地下街でしばらく写真を撮った。モノクロで撮った。これは自分の趣味が多分にはいっている。悪くはなかったのだがもう一つしっくり来ない。
一旦古い喫茶店に入っておしゃべりをひとしきり。のち、撮影再開。
新仲見世や六区あたりをぶらぶら、花やしきのあたりに来たのだがどうもこれという画が撮れない。だんだん冷や汗が出てくる。楽しいデートで終わっちまったらいかん。役に立てず、で終わってしまう。それじゃいかんのだ。そうやって焦りも出て来たところで

「アンヂェラス」

に入ってみようか、という話になった。
アンヂェラスは古い古い喫茶店だ。ヨーロッパの山小屋風の外観とレモンパイというクラシックなケーキが名物。永井荷風や池波正太郎らが通った店としても知られる歴史のある店。気に入っている。ただし人気店でいつでもどうにも混んでいる。そう思っていたのだが、ちょうど潮目、凪の時間だった様子で二階の階段下の席に着いて早々に他の客がどんどん引いて行った。


焦りも何もあったのだが、とりあえずお茶にして、また四方山話。恋愛話や食べ物、旅行の話し。他愛のない話し。古い喫茶店の暗めの照明と独特の空気が距離を縮めてくれる。
そういうのを続けながら手元では幾つか持ってきたカメラを持ち替えて、ダイヤルをまわして。何枚かづつ写真を撮ってはまた考え。すると、どうにもこの店の照明の色や光の加減、色々な要素がうまくバランスするポイントが見えてきた。
心なしか彼女との距離も縮まりリズムも出てきた感がある。外と違って狭い席の距離感、親密感が背中を押してくれるからなのか。あっと思ったらいい写真が撮れていて、驚いた。

どうやらなにかのしっぽをふわりとつかまえたらしい。自分自身もやっと彼女がどう撮って欲しいのか、どう撮られたいのかのツボが見え隠れする所が分かってきた。心なしか、エロティックさがモニターにそろりと乗って来ている感もある。手応えがあった。よし、もう少し。もう少しスカートの裾をあげてもらおう。

そうやって素人なり、自分なりの撮影を終えた。なんとなくわかったのはカメラではなく、腕前でもなく(これはまた別の話しなのだが)、コミュニケーションなのではないか、ということ。
会話の中からどういう写真を得たいのかを探り出し、表情の変化や言葉のニュアンスを一所懸命咀嚼などして。おだて、すかし、おどし、笑わせ、なんとしても表情を引っ張り出したり、逆になにもせずに、そっとそのままの表情を空気の如く気配を消して拾い上げていったり。

そのやりとりから生まれてくる写真の面白いこと。
人前に立ち、カメラのフラッシュを受けることを仕事とする彼女にとってわたし程度の写真では不満も多かろうし、随分枚数を撮った中で使えるものは数える程であろう。が、わたしにとってはなかなか得るものが多い面白い撮影だったのだ。


何年か前、なのだがスタイリストの神様のような人、高橋靖子さんがパーティーに誘ってくれたことがあった。知人もほとんどいないタフなパーティーであったが楽しかった。
そのさなか、キヤノンのiXYの小さなボディを両手で抱え、包み込んでヤッコさんの横顔15センチに近づいて写真を撮り続ける一人の男性を見た。
面白いなあ、近いなあ、と思いながら眺めていた。その後かの男性とカメラ談義をした。たわいもない話だったのだが、後になって色々考えると、どう考えても不勉強なわたしですら知っているレベルの有名な写真家だったようなのだ。そう、T-REXやデビッドボウイを撮っていた人、だ。部屋に帰ってたくさんの冷や汗をかいた。
そのキツイ思いの中で考え至ったのが「機械ではない」ということ。彼があの日撮ったヤッコさんのポートレートを見たわけではないが、確信として言えるのはいい写真をたくさん撮っていたのであろうこと。コミュニケーションが出来ていたからこそ、信頼関係があったからこそあそこまで寄って、どんどんシャッターを落としていけていたのだなあ、ということ。

弓月ひろみさんとそういう関係を築けたか。はなはだ疑問ではある。しかしその一瞬、なにかを掴みかけた、いや、掴んだことは確かだった。そういう気がしている。


面白い。やっぱり写真は面白い。
カメラじゃなく、写真は面白いんだ。

人はおもしろいんだ。



2014年6月19日木曜日

「臨時休業」(仕込みまにあわず)は健康的だと思う、という話し。

飲食店で「臨時休業」(仕込みまにあわず)という張り紙を見ることがある。
Facebook等で知ることも多いのだけれど。
売れた。予想以上に売れた。なのでストック、仕込み済みが底をつく。
物理的に営業は無理だ。帳尻合わせでは営業できない。仕方ないので一旦店を閉める。

健康的である、と思う。

ニッポンのレストラン、大手の資本が入ったところなどが特にそうなのだが、素晴らしいこととしてやっていたことが、どこかでボタンを掛け違えておかしなこと、不健康ことになってしまっているかもしれないなあ、と思うところがある。

ニッポンのレストランはすごい。グランドメニューがあって、そのメニューの品数は他の国のレストランと比べるとただ事ではなく、そして品切れなぞないことが多い。すごいことだ。そしてその状態を365日、保ち続けるのだ。並大抵のことではないと思う。こんなレストランが軒を並べてしのぎを削る国は日本くらいなのではあるまいか。


それはつまり資本力でもあると思う。店舗での食材管理、流通の整備と効率化、商品開発の研究。長く品質を保つ技術。全国に同じ看板を掲げる数百店、数千店のメニューをすべて均一な味と香り、鮮度に保つためには莫大な労力と資金力が必要だ。その上それをリーズナブルと消費者が感じる値段で提供をしている。
例えば離島と東京新宿、その看板が同じものなら同じ値段と味なのだ。

異常ではないか。

季節も天候もあるだろうに、生鮮野菜や決められた食材はメニューに美しく写真が載っており、それは絶対のルールとなる。写真通りでなくてはいけないのだ。生産者へのプレッシャー、契約条項、それを死守するための技術革新や科学的なアプローチ。そのコストは当然ながら最終的には口にする皆さんの支払う価格に乗ってくる。なのに、安い。
いろいろ変だとは思わないだろうか。

インド料理では、いや日本の家庭料理でも、その他の世界のお母さんたちの料理はカレーや味噌汁、おかずの味は毎日完全一致、一定などということはない。当たり前だ。家庭のお母さんが、家族の顔を思い出し、その日ごとに考えて作るのだから。
今日は寒いから暖まる献立にしてみましょうか、とか、息子はどうやら体調が悪いようだから、消化を良くするスパイスとリラックスできるハーブを使いましょう、とか。
レストランの料理も、町のレストランや食堂なら同じ考え方で作っているはずだ。市場で探した、今日いちばんいい食材を買ってきて、それをコックさんの技術でいちばんおいしく仕立てて献立に載せる。だから通年で出せる決まったメニューはそれほど多くない。当たり前だ。

食に関わる人は、それが、自分が手がけたものが、人のからだにはいるということを意識していない人はいないはずだ。巨大なセントラルキッチンで一日何万食も作られるメニューを手がける開発者も、町の食堂のおっちゃんも分け隔てなく同じだろう。
が、しかし。間に流通や保存、加工方法やいろいろな要素が複雑に重なれば重なるほど、多くの人の手を通らなければならず、そのなかでいちばん初めの開発者の想いが薄まったりしているかもしれないのではないか。そういう想像力を持って夕食の、ランチのテーブルに付くことは悪いことではないと思う。

売り切れでお休み、仕込み中、は正直の証かもしれない。
(お客さんの来客数の読み違え、という線も捨てきれない。そこは人間のやること。ご愛嬌、だ)

2014年6月18日水曜日

ブルーインパルス展示飛行 「SAYONARA 国立競技場 FINAL FOR THE FUTURE」

新宿サザンテラスに行った。結果、なのだが。
その前日、東京上空をブルーインパルスが飛ぶ、という話しを聞いたのだ。セキュリティやデリケートな問題があってか、その噂と公式情報の公開は前々日あたりから大きくなり、あわてて観覧する場所を探す人が続出した。

情報では
>>
飛行時間は午後5時35分から10分程度。国立競技場を中心とした東京上空で、6機編隊が4種類の直線飛行。当日の飛行ルートは埼玉県の入間基地出発、埼玉県草加市、東京足立区、板橋区等上空を通過。国立競技場上空通過
というもの。

ブルーインパルス展示飛行 
 「SAYONARA 国立競技場 FINAL FOR THE FUTURE」 

私はジェット☆ダイスケ氏に誘われ離陸時間の40分前ほどに新宿に到着。当初彼が「池袋のサンシャイン60」からというのはどうか、と提案。池袋でと思ったのだが、当人が完全に寝ており(デフォルトなのでそう驚かない)そうこうしているうちに時間もリミット。タイムアップでそのときにいたのがサザンテラスであった、というていたらくにして偶然であった。



が、NTTのビルをかすめて飛ぶブルーインパルスT-4中等練習機のブルーと白の影。ビルの谷の上空、東京の空を飛ぶジェット戦闘練習機の勇姿。その美しさといったらない。

コンデジであるCanon S120、よく働いてくれた。とっさに場当たりで撮ったにもかかわらず、気に入った映像を残してくれた。
カメラの名誉のために言うが、ぼけている時間が長かったり追いきれていない映像は筆者の腕の稚拙さのせいだ。

2014年6月17日火曜日

flick!別冊「鞄の中のデジモノ百科」が、発売中。

「flick!」はご存知のデジタルガジェット総合誌。電子書籍で月刊誌として出ている。
その別冊の形で紙で出ているムック、「flick!特別編集 鞄の中のデジモノ百科」というムックが出た。これがおもしろいんだ。


flick!で連載されているガジェット関係の有名人やおもしろい人を取っ捕まえて鞄の中身をご開帳。モバイルでどんなことをしているのか、なにを使っているのか、というところを白日のもとに曝す。とても楽しい。

僕の友人のマガジンハウスのエディター、池田美樹嬢も登場している。
皆さんの気を引くとすれば、例えばあの16連射の高橋名人や瀬戸弘司さんなんかも登場している。彼らの鞄の中身が覗けるって言う寸法だ。

実はこれの前の号に当たる「flick!特別編集 携帯ツール百科 あなたのデジタルデバイス見せてください」には表紙にも載せていただいた。光栄なことにとなりには日本Microsoftの元社長、古川享さん。文具王やいとうまい子さんとも一緒だ。友人の佐藤リッチマン、弓月ひろみちゃんも。誌面には林信行さん、荻窪圭さんにいしたにまさきさん、sasurauさんも村上タクタさんも川村さん、戸津さんも、、、と盛りだくさん。ホリゾントの前に立って撮影をしていただく、という嬉し恥ずかしの初体験をさせてもらったのもいい思い出だ。


2号目のこれの出版記念パーティーにもお誘いいただいて、とんでもない人と席を同じくした(緑のゾウのアイコンのあそこのCEO、、、もちろんムックに掲載されている)
これにはさすがの僕も鼻からスパゲッティが飛び出した。

flick!、恐るべし。

2014年6月4日水曜日

いいことばかり書く、という可哀想なものの見方の人がいる。

誰だかが私のカレーについてのブログYouTubeチャンネルについてこう言っていた。


「いいことばかり書いてあるけれど本当なの?マズイ店ないの?」

こういうことを書く人間は普段は相手にしない、というより見かけてもなにも残らない、引っかからない。意識の外にあるから、自分の客ではないと思われるので記憶にも残らない。
とはいえたまに気まぐれでこうして書いたりする。
いいことばかりは本当か?

本当だ。

ただしこの質問を口にしている時点で質問者の意識レベルや経験では「なぜ本当なのか」を咀嚼したり想像したりすることは出来ないだろう。

写真と本文は関係がありません

なぜなのか私にはさっぱりわからないのだが、飲食店に行くと粗探しを始める輩がいて、がっかりさせられる。自分の財布を開いて支払いをするのであろう、そういう食事のときに、だ。あきれてしまう。
きっと職場や生活圏で同じ目にあって、そのループから抜け出せぬまま他人にも同じ嫌な目に合わせて満足している輩なのだろう。
飲食店で自分の財布を開いて食事を楽しむ。そう、食事を楽しむべき店に来て自分で楽しもうという努力をしない部類の輩。まずは同じ土俵に立っていないので話が噛み合わないこと甚だしい。

楽しむための努力の方法はいろいろある。
その場で行う「楽しむための努力」だったら、例えばくだらない粗探しではなく、ブラスマイナスゼロのニュートラルラインからのいいところ探し。
楽しむ気持ち、楽しむ力。人間力とも言い換えられるものを持っているかどうかでそれが出来るかどうかは変わってくるだろう。
その場を楽しむ。ミスと思えるようなものに寛容になったりそれはなぜおこったのかな?と相手の立場に立ってみたりする。
その行為は慈悲深い王のような心持ちだ。誇り高い者には、誇り高くやっている店でならきちんとした扱いが保障される。そして誇り高い者は志同じくする空気が有る場所が、店が、わかるのだ。

事前の準備としてなら、日々を努力して収入を大きくする。現在の日々のランチの10倍ほどの金額のランチを毎日食べられるような線に持って行く。自ずと心の余裕や楽しむための素養がそこまでで出来ている(といい。そうだと信じたい)そういう金額や格のある店にはあなたをイライラさせる要素も少ないだろう。
そういうやり方もある。あなたにやる気があれば、だ。

まずい、とはなんだろう。マズイ。不味い。まずいという言葉。

なぜ質問者は不味い店に当たるのだろう。きっと経験が足りないのではないか。食だけの話ではない。たくさんの経験を積んで判断の幅が広がる。そういうことを怠っているのではないか。そういう勉強や知識欲からより楽しい判断が出来るように自分を鍛え上げてみてはどうだろう。

さあ、あなたの番だ。レストランに行こう。あなたが試される。試されているなど思わずに、こんな文章のことなど笑い飛ばして自分だけの、心から満足行くランチを、あなたは今日、手に入れられるだろうか。



<追記>
不味い店に当たること、不味く感じさせる店に当たることがないわけではない。本来こんな昨今である。野菜も肉も品質改良され、調味料も然りで「味の底上げ」のようなことが戦後ずっと、続いている。そういう中でも「不味く感じさせる店」はあるわけで、それはいい。私はただ、黙っているのだ。黙って支払いをして、抵抗するように残すこともせず、一見いい客風に店を出る。もう一度、はない。そして騒がず、誰に言うともなく、黙っている。さて2〜3ヶ月後。私が件の店の前を通りかかるとどうやら営業をしていないらしい。閉店ではないようだ。廃業だ。つぶれたのであろう。そういう経験を数多くしている。黙っていても、魂なき店は消えてなくなる。あなたが「食べログ」で下品な言葉を並べる必要は、一切ない。