2014年8月4日月曜日

飲食店の従業員が自店の味を知らない。

驚いた話がある。タイトル通りのことがとあるレストランで起こったのだ。

夜、お腹を空かせて入ったレストランだった。お腹が空きすぎるとメニューを選べなくなる。そんなことが食いしん坊のわたしにはままあるのだ。ここはひとつ、ウェイターくんの意見でも聞いてみるかとオーダーを取りに来た男の子に聞いてみる。

「お腹を空かせているんだよ。なにかお勧めはありますか?」

よどみなくお勧めを教えてくれる彼。
「お勧めは今が旬のXXを使ったこちら。お腹を空かせてらっしゃるそうなのでボリュームのあるこちらもどうですか?」

立て板に水のスマートな接客。うんうんいい感じ。気分がいいね。
さて、どうしようかな、どれに決めようか。そうだ。

「今あげてくれたメニューの中であなたはどれがいちばんスキ?」
「すみません、食べてないんですよ、、、」

あれっ?なにかおかしくないか。彼が自信たっぷりの顔で勧めてくれたあれはなんなのだろう。そう思ってしまった。

写真と本文は関係がありません

あまりにもあっさりと食べてないことを告白してしまった若い、悪気のないホール担当の男の子にあれこれ突っ込むのも野暮というもの。こめかみに力を入れて「ボリュームのあるのはこちら」と言われたメニューを指差してみた。からだから力が抜けてそれくらいしか出来なかったのだ。
力が抜けたのはもちろん、空腹のせいではなく。

コックたちは当たり前だが試食をする。作って、味見をしてブレをなくしていって。それは、当たり前。
ホールの子たちはどうなのか。ホール担当は最前線だ。お客に直接問われ、口をきき、サービスを行う。こういう大事なポジションの人間が味を知らないのはまことに脆弱だ。前線の塹壕に手ぶらで入るような行為だ。たちまち敵に足下をすくわれる。

オーダーミスや料理を皿の上に完成させた後に半端に残るもの。そういうものをコックはホールの子たちにまわしたりする。美しい伝統だと思う。忙しい時間帯、誰もが疲れてきたり集中力を失いかける時間帯にコックがディシュアップの裏に置いた小さな皿。それをホール担当がほんのわずかなスキを見つけて口に放り込み、急いで味わって飲み込み、またホールに戻る。そこにひらめきやアイディアが宿る。ホールに戻ったウェイターたちはその接客に先ほどのひとくちの味を生かす。そういう流れがあってもいい。
厳しい店なら、いや、こちらが当然であり正解、閉店後、お客が帰ったあとにそういう料理の半端なものや余ってしまって賞味期限が迫るものなどをみんなで食べる。気の効いた店長やホールリーダなどがいれば料理の説明と客にどう勧めればいいのか、説明なども入るだろう。

ところが、どうも最近の大手の大型レストランは管理が行き届いており予算達成が厳しくもあり、ロス管理と銘打ってこういうものを排除する動きがあるそうだ。確かにロスも減るし効率化できる。特に全国展開をするチェーン店などはその効果も大きいだろう。しかしそれで失うものは小さいものなのだろうか。

賄い補助、などという項目を設けて現金支給をしたりxx%引きを出来るようにする店もあるようだ。それは制度としてはいいかもしれない。が、しかしだ。コックや先輩から手渡しされる、仕事の場所でその場で食す料理のパワーは大きなものがあるのだ。現金などではダメだ。何割引もナンセンス。作った人から食べさせてもらう体験は偉大なものだ。作った本人がいて、そのうまさを感謝と共に直接伝える。どう作ったか、なにをこだわったか、すべてその場で、まだ口にその味が残っている間に自分に帰ってくる。
尊いものではないだろうか。

そこでホールの彼らは大きなものを得る。
感動や驚きと共に体験したあの味はこういう想いで作られるのか。それをホールでの接客に活かせはしまいか。素晴らしいスペシャリストの誕生だ。そこまでいってはじめて、つまみ食いが試食に昇華する。昇華するまでを辛抱強く待てるのが強いレストランなのではないか、とそう思う。

昨今、あまりにも杓子定規に白と黒を決着着ける風潮が強まっている。結構だがいきすぎると大変大事なものを失う、取り返しのつかないことになる。そういうことが多い気がしてならない。

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