2015年2月23日月曜日

下界と切り離される、一瞬。救いの場所は人それぞれが持っている。

ここに来てカウンターに座れば世界中の面倒から30分だけ切り離してもらえる。あなたはそういう救いの場所をお持ちだろうか。急にそんなこと言われても、と言わずに考えて欲しい。そういう喫茶店や食堂、行きつけの中にないだろうか?そこまで考えたことなかったなあ、という人も、言われてみれば、と思うところがあると思う。

ごく個人的にわたしにとって、という場所。
たとえば同じいつものレストラン。いつもの喫茶店。何気なく通い始めてそれほど思い入れもないんだけれど、もう20年。そんな場所。ないだろうか?10年も通っていれば、何気なく通っている店や場所がそういうものに知らぬ間になっているもの。無意識なんだけど、実はそういう場所だからこそ通っている、という言い方も出来るかもしれない。

わたしは神田神保町にそういう店を持っている。たった30分間のランチタイムで立ち寄る町のカレー店。食べて、黙って出てくるばかりのそんな店なのだが、解放や心の平穏がある場所だ。ただし、自分にとっての、自分だけの、であるが。


自分の好きな場所は自分の体験で決まる。自分だけが決める権利と自由を持っている。
たとえば食のSNSなどの点数で選んでいる輩はナンセンスではないのか。自分の経験の積み重ねで自分が幸せな、自分にとって塩梅がいい場所が作られる。飲食店評価サイト等を例えば使っても、いった先で「この店は合わない」とか「ここはこんなときに使おう」という蓄積をしていれば価値もあるだろう。聞こえてくる「点数低かったのにいいねここ、低い点数の店もたまにはいってみよう」とか「ここは点数が高いのに全然ダメだ。コスパが、、」とか。そういう会話が聞こえてきたらその人たちと食事に行くのはやめたほうがいい。特にコストパフォーマンスをコスパと縮めて使う連中には近づかない方がいいかもしれない。あなた次第、だ。


ただひとり、自分だけの基準を持つべきだ。あなた自身の基準を作ってもらいたい。積み重ねだ。そして、誰かのうわさでお店に行く時はその人と心を重ねてみてほしい。気持ちに余裕があるときに行ってみてほしい。だんだん外食で損をしなくなるはずだ。